新運転は今年で、55年目の実績を誇る運転手と作業員の労働者供給事業をしてきた労働組合です。 統一した労働協約に基づいて、自動車運輸産業や関連する産業に従事する 労働者が主体となって自主的に各種の活動を行い、職業別労働組合として 真に自由で民主的な組織の確立を目指しています。 連合、交運労協、労供労組協、ハイタク東京労働団体に加盟しており、 全国労供事業労働組合連合会(略称、労供労連)という 労働者供給事業を行なう労働組合の連合体の中では最大の組織です。 そして、魅力ある未来型労働組合として労供事業を柱として 労働者派遣事業や介護福祉輸送事業にも取り組み、社会的に高い評価を 受けています。
新運転を結成した先輩たちは、資本、国家権力、そして政党から独立した労働組合主義を掲げる新産別の下に結集し、労働者の職業選択の自由と賃金労働条件、生活向上、そして日本社会の自由と平和を目指して奮闘してきました。戦後日本の労働法制全体が、労働者個人と企業との労働契約=直接雇用、企業内労組を対象として創られた中にあって、労働組合として多くの中小零細企業との供給契約によって労働し生活するという新運転の存在は企業外で個人加盟の職能組合としての異彩を放ってきたのです。
1959年の結成時に僅か数人のタクシー運転手が集まって始めた新運転は、多くのタクシー会社と一日当たりの営業収入に対する高い歩率の労働協約を締結し、高度成長期の人手不足と相俟って急テンポで組織拡大を実現しました。結成10周年を記念する当時の機関紙では、関東と関西を合わせて6000名に近い組合員の結集を実現したと誇り高く報告がなされています。
それこそわれわれが結成当初のような勢いに乗って今日まで組織拡大を果たしていれば、悪徳派遣業者の存在する余地などなかったというのが、正直な実感です。
しかし、日本政府と資本は、国家権力を行使してわれわれの組織拡大を押さえ込んできました。つまり、労供事業法という法律による事業展開の道を閉ざして労供労組拡大の外堀りを埋めた上で、急激に勢力を伸ばしていた新運転、とりわけタクシー運転手の組織拡大を直接押さえ込むための内掘りを埋める攻撃として、1967年に運輸省令が改悪されたのです。それまでの新運転のタクシー組合員は、前述したように個別企業から独立し、労働条件の良い職場を選択する自由がありました。このことを言葉を変えて言うと「日雇い運転手」として自由に働くことが出来たということです。そして、当時のタクシー組合員は人手不足の中で、文字通りの売り手市場の反映として高賃金、高労働条件を謳歌したそうです。ところが、その省令改正によって組合員は一つのタクシー会社に選任運転手として固定的に雇用されない限りタクシー運転が出来なくなったのです。その省令改正を強力に後押ししたマスコミ、業界の挙げた当時の理由は、乗車拒否、無謀運転、過重労働による事故多発などが日雇い運転手によって引き起こされているというものでした。労供労組に所属する日々雇用の組合員と個人の日雇い運転手を同列に論じ、差別を煽る中で省令は改正されたのですが、新運転のような労供組合の排除を狙ったものではないというのが、国会審議における政府の公式見解でした。
しかし、制度変更という現実の壁によってタクシー組合員の企業内への囲い込みが進み、新運転からの離脱、減少という事態が進行しました。その後、新運転の先輩たちはタクシー組合員の組織を守りながら多様な運転業務の労供拡大へと乗り出して組織崩壊を避けるために奮闘してきたのです。今日では、更に運転業務から作業員への労供職種の拡大に加えて企業組合による福祉タクシー事業や有限会社による供給と派遣を組み合わせた事業展開に取り組んでいます。